問題解決の道具箱

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認識論、エピステモロジー(科学哲学)

 

エピステモロジー(知識についての認識、科学哲学)

科学的認識論と哲学的認識論

今日、認識論は、学問状況を正しく受け止めるならば、まず二つに大別されよう。哲学的認識論と科学的認識論である。もちろん相互の関係を軽視してはならないが、また逆に、認識論とは、存在論ないし形而上(けいじじょう)学と並ぶ哲学の一大部門と規定することにとどまることはできない。哲学は「認識とは何か」というような全体的な問いにかかわらざるをえないが、科学は逆に研究対象を限定して厳密な方法で解明することを目ざす。(認識論とは(哲学的認識論と科学的認識論)- コトバンク

認識論(英: Epistemology)は、認識、知識や真理の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)について考察する、哲学の一部門である。存在論ないし形而上学と並ぶ哲学の主要な一部門とされ、知識論とも呼ばれる。

フランスでは「エピステモロジー」という分野があるが、20世紀にフランスで生まれた科学哲学の一つの方法論ないし理論であり、日本語では「科学認識論」と訳される。(認識論 - Wikipedia

科学哲学(英: philosophy of science)とは、科学を対象とする哲学的な考察のことである。

科学哲学の目的の一つは、科学というものの持つ限界を人々に自覚させ、科学に関して人々が持っている誤解を解くことである。例えば「科学は、いかなる事象をも取り扱える一つの確固とした学問体系である」などと見なすことは誤解である。また例えば 「科学が与える世界像こそ客観的世界の真の姿である」などと考えるのも誤解である。(科学哲学 - Wikipedia

 近世から現代の「認識論(エピステモロジー)」の移り変わり|夢ナビ

論理実証主義(英: Logical positivism)とは、20世紀前半の哲学史の中で、特に科学哲学、言語哲学において重要な役割を果たした思想ないし運動。論理経験主義(英: Logical Empiricism)、科学経験主義とも言う。

経験主義―数学的構成物と論理・言語学的な構成物とを融合させた知識を伴う種類の合理主義には実験に基づいた証拠が必要だとする考えと、認識論の成果を結合したものである。論理実証主義分析哲学の一種だと考えられるかもしれない。(論理実証主義 - Wikipedia

批判的合理主義(英: Critical rationalism)は、認識論的哲学の一種。

過剰な合理主義を批判し、合理主義を論証によっては基礎付けることは不可能であり(反基礎付け主義)、理性への信仰ないし非合理な決定によって基礎付けられることを認める立場。可謬主義と結びつく。(批判的合理主義 - Wikipedia

反証可能性(英: falsifiability)またはテスト可能性、批判可能性とは、「誤りを確認できるということ」であり、「科学的理論は自らが誤っていることを確認するテストを考案し、実行することができる」という科学哲学の用語である。方法論として「トライアル&エラー」(試行錯誤)とも呼ばれる。(反証可能性 - Wikipedia

パラダイム (paradigm) とは、科学史家・科学哲学者のトーマス・クーンによって提唱された、科学史及び科学哲学上の概念。

クーンの提出したこの概念は、本来は限定された専門分野において用いられることを想定していたにもかかわらず、時としてビジネス書にすら登場するほど一般的な言葉となった。そうした場合、最大公約数的に言うと、パラダイムは“時代の思考を決める大きな枠組み”などと解されていることが多いが、これは誤った(拡大解釈しすぎた)理解であり、そのような“大風呂敷を広げて”いる概念ではないことにまず注意しなければならない。 クーンは自然科学に対してパラダイムの概念を考えたのであり、社会科学にはパラダイムの概念は適応できないと発言している。

クーンによれば、パラダイムとは次の二つの特徴を持つ業績の事である。

  1. その業績は、「他の対立競争する科学研究活動を棄てて、それを支持しようとする特に熱心なグループを集めるほど、前例のないユニークさを持って」いる。
  2. 「その業績を中心として再構成された研究グループに解決すべきあらゆる種類の問題を提示してくれる」(パラダイム - Wikipedia

可謬主義(かびゅうしゅぎ、英: Fallibilism)は、「知識についてのあらゆる主張は、原理的には誤りうる」という哲学上の学説。チャールズ・サンダース・パースジョン・デューイプラグマティスたちが提唱した。(可謬主義 - Wikipedia

プラグマティズム(英: pragmatism)とは、ドイツ語の「pragmatisch」という言葉に由来する、実用主義道具主義、実際主義とも訳される考え方。元々は、「経験不可能な事柄の真理を考えることはできない」という点でイギリス経験論を引き継ぎ、概念や認識をそれがもたらす客観的な結果によって科学的に記述しようとする志向を持つ点で従来のヨーロッパの観念論的哲学と一線を画するアメリカ合衆国の哲学である。(プラグマティズム - Wikipedia

認識論の自然化に至る道

古い認識論と新しい自然化された認識論との最も大きな違いは、自然科学との関係だ。古い認識論は自然科学をセンスデータから構成することで、自然科学を認識論の中に包摂しようとした。逆に、新しい認識論は、心理学の一章として自然科学の一部になる。そのこととひきかえに、自然化された認識論は、経験的心理学のデータや、さらには脳科学を利用することができるようになるというわけだ。(戸田山和久「知識の哲学」 第8章)

1970年代後半に人間の心の本質について新知見をもたらす学問分野が発展し、その後も進展が続いている。脳科学、心理学、認知科学、神経生物学、人工知能、コンピューターなどに関連する研究である。これらの発展は“見る”事がいかになされているか、いかに心が外界の表象を形作るか、いかに情報が蓄えられ再起されるかなどの理解につながっている。(認識論の現在と未来 - Wikipedia

 

進歩史観歴史認識

歴史認識とは、歴史に関する認識、歴史観のこと。狭義では、ある歴史観を持つものが、歴史上のある事象をその歴史観で理解・解釈することであり、広義には歴史そのものに対する認識を指す。(歴史認識 - Wikipedia

進歩史観(英: progressive view of history)は、歴史を人間社会のある最終形態へ向けての発展の過程と見なす歴史観。例えばホイッグ史観では、現体制を理想の最終形態とし、過去の歴史をこの現在の体制に至るまでの漸進的発展と見なすことで現体制を正当化する。一方、唯物史観では未来に最終形態である共産制を設置し、現在の社会をそこに向かう途中の一時的な段階であると解釈する。 (進歩史観 - Wikipedia 

啓蒙思想(英: Enlightenment)とは、理性による思考の普遍性と不変性を主張する思想。その主義性を強調して啓蒙主義ともいう。ヨーロッパ各国語の「啓蒙」にあたる単語を見て分かるように、原義は「光で照らされること」である。自然の光(ラテン語: lumen naturale)を自ら用いて超自然的な偏見を取り払い、人間本来の理性の自立を促すという意味である。(啓蒙思想 - Wikipedia

洞窟に住む縛られた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる。「実体」を運んで行く人々の声が洞窟の奥に反響して、この思い込みは確信に変わる。同じように、われわれが現実に見ているものは、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考える。(洞窟の比喩 - Wikipedia

  プラトン『国家』第七巻メモ(1) | Narimasu_0717 Blog

循環史観、運命史観

古典古代以来提唱されてきた伝統的史観のひとつ。循環論はしばしば文明興亡論とも結びついてきた。

政体循環史観
共同体を統治する政治体制には『王政・貴族政・民主政』の3つがあると述べ、それぞれは長期に渡ると必ず堕落し、次の政体へ変化するという史観。

歴史循環論
循環論と進歩論をあわせたもの。もとの地点に戻るのではなく、螺旋的に発展するとした。(代表的な歴史観 - Wikipedia

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