市場の倫理と統治の倫理、安心社会から信頼社会
ジェイン・ジェイコブズ『市場の倫理 と 統治の倫理』
前者は、その集団に属することで安心が得られますが、裏切ると村八分にあう世界です。組織のルールから外れないこと、ルールを守ることが尊重されるため集団に属する人は思考停止に陥りやすいのが特徴です。計画的パフォーマンスには強いですが、適応的パフォーマンスを発揮する際に弱くなります。マフィアやナチス・ドイツのように非人道的な方向に進んでしまうこともあります。
一方、後者は、世間の中で信頼されることで生きていける社会です。嘘をついたり信頼を裏切るような不誠実なことを行うと存在できなくなります。誠実な仕事によって対価を得るため、効率を高めたり、創意工夫でサービス価値を高めるなど、自分を磨くことを大切にします。(自律型組織へのチェンジマネジメント 2つの倫理体系)
この道徳の混合から来る腐敗を防ぐものとして、ジェイコブズは「カースト(身分)制」と「自覚に基づいた倫理選択」の2つをあげています。(西東京日記 IN はてな)
・集団を統治するための「統治の倫理」と、商取引上必要な「市場の倫理」が発達。
・2つの道徳は「規律遵守」vs「気安く交流せよ」など矛盾するので人々の対立を招くが、適用範囲を分ければ社会の発展に寄与。(カーストや日本の江戸時代など)
・2つの倫理の混同は、破綻した社会主義国家や行政と企業の癒着などに見るように「救いがたい腐敗」を招く。
・カースト無き後、民主主義社会においては、自覚的にいずれかの倫理を選択するしかない。(洋々亭 雨読日記)
「セーギの味方」について考える 〜 分配の正義に関する一考察(亀田達也)
山岸俊男『信頼の構造』「安心社会から信頼社会」「武士道と商人道」
山岸氏によると「安心社会」というのは、市場取引について長期的に利害関係を共有する社会関係に基礎を置くことで、囚人のジレンマ問題を解決し、その結果人に騙されることの少ない社会のことをいい、セーフティーネットの発達した安心な社会のことではない。長期的な関係の中では、他人に損害を及ぼしても短期的な利益を追求する者がいれば容易にそれが判明するので、彼らがそのような行動をとれば「村八分」を受ける(取引関係から排除される)という慣行を作ることで、囚人のジレンマの発生を抑制することができ、その意味で安心できる社会となるのである。
「信頼社会」は「安心社会」とほとんど真逆の特質を持つ。それは「信頼社会」は取引費用を増やしても、機会費用を最小化することに目的を置く社会だからである。そして、「安心社会」が「長期的関係」「内部市場化」「均質化」を伴うのに対し、「信頼社会」は「短期的取引関係での信頼関係の確立」「外部市場化」「異質性の肯定的評価と活用」を特徴とする。(「安心社会」から「信頼社会」へ―山岸俊男氏の死を悼んで)
山岸俊男『信頼の構造』(東京大学出版会)- 書評空間::紀伊國屋書店
tabi0070 山岸俊男「安心社会から信頼社会」: 内田洋平 BLOG
シリコンバレービジネスブログ - 日本の「安心」はなぜ消えたのか 山岸俊男著
内集団ひいきの武士道 vs ウィン・ウィンの商人道── 松尾匡
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